お会式の意義と由来
お会式とは、日蓮聖人ご入滅のときに、池上の小山の桜が花咲いたという奇瑞から、以後、信者たちが万灯に桜の花を飾って池上に集い、お堂にこもって翌13日の御入滅の時刻まで、読経唱題をし、さらに夜通しお徳を称える説教を聞いて、お慕いしたのが起源と伝えられております。立正佼成会では、昭和24年に、日蓮宗日円山妙法寺(東京・杉並区堀ノ内)のお会式にはじめて参加し、さまざまな経緯を経て現在の「お会式・一乗まつり」となりました。
お会式のルーツ
弘安5(1282)年10月13日辰の刻(午前8時ごろ)、日蓮聖人は入滅されました。その一周忌のお逮夜(前夜)にあたる12日に弟子たちの手で法会の儀式が営まれました。
お逮夜法要に参加するため、信者たちが手にちょうちんを持って参集し、寺院にも桜を飾って師の徳を慕い、偲んだのが起源と伝えられています。今日のようなお会式万灯行進が成立するのは、江戸時代のことになります。
日蓮聖人の足跡
では日蓮聖人とはどのような方だったのでしょうか。鎌倉仏教の祖師の一人、日蓮聖人は貞応元(1222)年安房国(千葉県)小湊で生まれました。12歳で清澄寺に上り、16歳の時、得度しました。日蓮聖人は、比叡山や高野山などで研さんを積みました。
立正佼成会とお会式
立正佼成会が初めてお会式万灯行進を行ったのは、昭和24年。日蓮宗日円山妙法寺(東京・杉並区堀ノ内)のお会式に参加したことがきっかけでした。初の万灯行進は、万灯10基、纏3基に笛、鉦、太鼓という構成でした。翌年には、鎌倉の龍口寺お会式にも参加。昭和26年からは、纏の振り方や太鼓、鉦の打ち方、お囃子など本会独自の様式によるお会式が行われるようになりました。
第1回お会式および過去映像
一乗行進に登場する万灯、纏、笛、鉦、うちわ太鼓には、使われるようになった理由や現在の形に至った経緯があります。
そして、行進する人々の願いや祈りが込められています。